11月5日より12日まで日本武道代表団の一員としてモスクワに行ってきました。昨年、安倍首相とプーチン大統領との日露首脳会談で合意された「2014年日露武道交流年」の記念事業の中核事業としてのロシアでの武道交流です。
団長に高村正彦自民党副総裁、副団長に柔道の山下泰裕さん、現代武道9道、古武道3流、総勢75名の大軍勢になりました。各流派そうそうたるメンバーが参加をしました。私たち大東流合気柔術は、長谷川すみ枝教授代理・天野鎮夫葛飾支部長・石井勇一本部指導員と私の4名で参加をしました。
スポーツ省への表敬訪問に始まり、スポーツ大臣との懇談。タス通信での記者会見、ロシア政府からの歓迎晩さん会。モスクワ国立体育スポーツ大学での武道セミナーや演武会。ルジニキ・オリンピックアリーナでの大演武大会そしてワークショップ。5000人を超えるロシアの観衆の中、プーチン大統領の列席も得ました。また独自に大東流合気柔術のオープンセミナーを開き、ロシアの武道愛好家に大東流合気柔術を指導してきました。次の日はモスクワ支部の稽古会も開催しました。
ほとんど休む暇もない強行日程でしたが、得るものは大変多くありました。一つは国を代表するということの重みです。もう一つは流派を代表するということの重みです。公式行事や演武大会は順当に終了しました。問題はその後のワークショップの時に起こりました。当初20人程度の体験会という説明を受けていましたが、会場の5000人の観客がなだれ込んできたのです。小さな幼児の体験者から、真剣を差している武士風(道着を着て侍のような恰好)の男や力自慢の男、他の武道をやっていて試したい男。それらが一気になだれ込んできたのです。それらを一気に裁くのは至難の業でした。傷つけてはいけない。負けてもいけない。いかに「相抜ける」か、その位置取りが非常に勉強になりました。
オープンセミナー及び稽古会では初めて参加する人に、技を理解させ覚えさせる難しさもともかく4時間ぶっ通しのセミナーの構成の難しさを知りました。特に言葉が通じない中での指導は、なかなか滑稽なものがあります。
いずれにしても無事任務を終え帰国できたのは、長谷川・天野・石井諸兄並びにロシアのイブゲニー・スタス・ミーシャ・アンドレー並びにわざわざ来てくれたアレックス・パスカルに熱い謝意を述べたい。 感謝。
ロシア連邦派遣日本武道代表団として11月5日~12日モスクワに行ってまいります。
日本代表としての演武及びセミナーを行います。
尚、稽古は通常通り行われます。
10月25日、26日と鹿島神宮の大神様(武神 武甕槌大神)の御前で演武をしてきました。私はこの大会が大好きです。凛とした大神様の御前で演武をするということはもちろんですが、武徳殿での演武、そして本殿前での演武と2度行うことにより、他流の先生方の演武も2度見ることが出来るからです。他流の多くの名人の先生の演武を見るチャンスはそう多くありません。尚且つ、質問や疑問点などは直接先生方にお聞きすることが出来るのです。
卜傳流の技法の中に、一刀流と共通するものがたくさんあること発見いたしました。一刀流の他流勝ちの中に、「卜伝が一太刀」の型が残っています。虚を取り入り身に入る、また折身の技法等、共通するものが多々ありました。伝承過程で富田流の影響を受けた影響かもしれません。
関口流の米原宗家は御年92歳。座位からの抜刀を見させていただくたびに、長年培われた芸術を感じざるを得ません。そのお姿は将に未来の理想でもあります。お若い先生の中で特に私の目を引いたのは天道流薙刀術の木村友里先生です。風車や水車の見事なこと。
ご幼少のころから基本を修練したものだけが出来る安定感と技のさえがありました。笹森道場の禮樂堂での直元流の薙刀稽古が思い出されます。
他流の先生の演武の素晴らしさを文章にしたらきりがありません。学びの多い大会でした。技の整合理合、間、呼吸、気合。各流派の秘奥が詰まっていました。(公財)日本武道館並びに日本古武道協会の皆様に厚く感謝申し上げます。
大神様の御前は厳しくも温かく楽しいものでした。
第59回大東流合気柔術演武大会で当道場の味岡功磨君が大活躍、
銀賞をいただきました。
10月26鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会が開催されます。
近藤昌之副本部長以下大東流合気柔術の演武を行います
もともと還暦を迎えた年に四国88霊場めぐり、お遍路さんをしてみたいと思っていました。残念ながらこのことに多くの時間を費やすことは出来ません。今年は午年に当たり、12年に一度の総開帳の年です。坂東33観音・秩父34観音ともに普段閉じている観音様の扉が開き、直に観音様と結縁出来るということなのです。
今年しかない。そんな思いで一番目の鎌倉杉本寺からはじまり、神奈川県9ヶ寺、東京都1ヶ寺、埼玉県4ヶ寺、茨城県6ヶ寺、栃木県4ヶ寺、群馬県2ヶ寺、千葉県7ヶ寺。途中秩父34観音を含めて、10月4日最後の館山の那古寺で67観音を結縁しました。
大東流中興の祖武田惣角先生は日光の二荒山神社で修業し、霊山神社で悟りを得ています。一刀流祖伊藤一刀斉先生は鎌倉の鶴岡八幡宮で夢想剣に開眼しました。先師武田時宗先生からは九字の秘法を頂き、笹森順造先生からはキリスト教の愛を賜り、大森曹玄老師からは鉄槌の慈愛を頂きました。神社・仏閣は、私にとって今は亡き師に逢いに行く場所でもあったのです。
観音様は本来観世音菩薩といいます。お役目は私たちに安心をもたらす菩薩様です。浅草の浅草寺の山門の額に「施無畏」の書があります。「おそれ無きを施す」すなわち「安心を提供する」そのような意味です。観世音菩薩は私たちを救うために33の姿に変身すると言われています。基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、十一面観音、千手観音などです。私たちが受け取りやすいように、幾重にもお姿を変えてくださる。
それぞれの観音様のお姿は実にいろいろな方に似ています。微笑んでいるようでもあり、叱っているようでもあり、悲しんでおられるようでもあり、励ましてくれているようでもあります。67観音めぐりは、今は亡き師との参禅の時間でもあり、自分との問答の時間でもありました。
最初、祈る事・願うことが何かいけないことのように感じてしまいました。大いなる観世音菩薩様に小さな人間の欲望や願いをお頼みしていいものか、一種の罪悪感を持ってしまったのです。しかし多くの観音様のお姿に包まれることでこれは徐々に消えていきました。消えたという感覚もなく溶けて行ったと表現した方が正しいかもしれません。
最初の頃、「観音様。今の生き方で良いでしょうか?」そうお聞きすると、時に師の裂帛の気合いを感じ、身の引き締まる思いをいたしました。これも数多くの観音様のお姿にお参りさせていただくうちに、自然に溶けていきました。ただただ照見することがうれしく、楽しく、そんな時間を過ごすことが出来ました。
「仏道をならふというふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。」 感謝。合掌。